保育園時代

発達障害に気づいた時期

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コウは生まれた時は、ごく普通の赤ちゃんでした。
発達も、普通に見えました。

一人歩きは1歳5か月、
2歳半までよだれかけが必要だったのは、やや遅れていますが、
発達の「個人差」の範囲だと思っていました。

オムツをはずして家でも布パンツにしたのは3歳3か月で遅めでした。
これは、汚し物の着替えや掃除をすることに私が時間を使えないと思って、
オムツはずしに積極的にならなかったことが大きな要因です。

保育園の2歳児クラスの時に、
保育士さんが書く「保育日誌」を偶然見てしまいました。
「問題のある児」のような欄に、コウの名前がありました。
次の遊びに移る時に、前の遊びに心残りがあってスムーズにいかない、
という記載がありました。

自我が芽生える3歳くらいの時期にも
「自分でやる!自分でできる!」という主張のない子でした。
大人に世話されるがままでした。

紙芝居などをじっと座って見ていられないことや、
運動会や発表会でみんなと同じようにできていない様子など、
同じ年代の子と少しずつ離れていることが目立って行きました。
でも保育士さんたちは「障害かもしれない」という指摘はしませんでした。

年中クラスの時に、保育士さんに「発達相談に行こうと思います」と伝えたところ、
快く「保育園での様子を文章に書くので持参してください」と言ってくれました。

保育園時代の集合写真は、卒園までどれも、コウは保育士さんに抱っこしてもらっています。
保育士さんのそばに置かないと、写真を写すための適切な位置にいて、適切な顔の向きを、
園児一斉への指示ではできなかったのだと思います。

年長クラスの夏から児童デイサービスに週1回通所することになりました。

我が子が発達障害児であるということがわかった時、私は、
保育士さんたちには苦労をかけていることだろうけれど、
比較的早期に見つけてやれたことは幸運だった、
デイサービスなどというものがある時代に生まれてくれて本当に良かった、と思いました。

ABOUT ME
ホタル
発達障害児【特別な支援を要する男の子】のママ。フルタイム勤務のシングルマザーです。