中学校時代

コウ中学校3年間転校せずの奇跡

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小学校時代。
コウの中学進学に際して、校区を越えた「越境」も許可されていたので、
私は、近隣の特別支援学級を擁す市立3校+遠くの私学も見学に行きました。

小学校の特別支援学級の担任の先生に相談したところ、
「校区のW中学校の特別支援学級は、身の回りのことが自立している子でないと難しいと思います。
短時間で着替えられるなども求められます。
行動がゆっくりなコウ君が行っても、ついて行けなくて途中で転校ということになったら、かえってかわいそうです」と言われました。

普通学級では「ついて行けない」から特別支援学級に行くのに、
特別支援学級で「ついて行けない」とは、何ごとでしょう。
1人1人に対して「ついて行ける」範囲のことを提示して、必要な支援をしてくれるためのクラスではありませんか。

そんな中、コウが小学5年生の時に、保護者対象の中学校見学でW中学校に行った時のこと。
特別支援学級が使う教室は、作業のための設備があり、1階に複数ありました。

ミシンのある教室での「縫製」の授業を見に、保護者3人で入りました。
3人の生徒と、女の先生がいました。
生徒たちはさわやかに「おはようございます」と挨拶してくれました。
すると女の先生がいきなりミシンを使っている生徒に
「ほらっ!!お母さんたちが入って来たら、普通、『僕たちは今、何をしています』という説明をするんじゃないの?!」と怒鳴り出すではありませんか。
保護者が入る前に、説明のリハーサルをしていた様子でもないのに…。
その突然の求めに、生徒たちは戸惑っているようでした。
何度も同じ言葉で怒鳴られるので、たくさんのハギレ布を置いた机のそばにいた1人が「僕たちは今、巾着を作る布を選んでいます」と話し出しました。
女の先生は、それだけでは満足できなかったようで「あのさー、手に持っている布、センスないよね?!」と、またしても、言いがかりとしか思えないことで、生徒たちを責めています。

このただならぬ雰囲気の教室内に、保護者たちが震え上がったのは言うまでもありません。
私たち保護者が見学に入ったばっかりに、この子たちがいわれのない叱りを受けたこと、申し訳なさでいっぱいになりました。

自由見学で、どのタイミングで来るかわからない、初対面の大人に、
自分たちのしていることを説明するなんて、
普通児でもなかなかできないようなことではないでしょうか。

特別支援学級の生徒は、些細なことでも、
練習して練習して、どうにかできるようになるのです。

生徒たちは、いつ怒られるかわからない中、どんなに苦痛で強い緊張の学校生活を送っていることか。
ただでさえ繊細な子たちだというのに。
我が子がこんな理不尽な教育を受けたら、どうなるか、深く考えました。
「ついて行けなくて転校を余儀なくされる」前に、「不登校」になっても不思議ではありません。

そういうわけで、地元の市立中学校は私の中で除外され、他校を探していたのです。

ところがその後、その女の先生は、転勤か退職で、W中学校からいなくなったと聞きました。

コウはずっと「友達と一緒の中学に」と、校区の市立のW中学校を希望していました。

晴れて、コウの願いは叶って、地元の中学に行くことになり、
穏やかな先生方から、1人1人の生徒に綿密な配慮をされた教育を受け、
3年間転校せずにW中学校に在籍し、卒業することができたのでした。

発達障害児の中学校選び中学校選びに悪戦苦闘でした。「歴史がある方がいいとは限らない。特別支援教育は年々進化しているのに、教育内容を更新しないで、古いことをただ続けている所もあります。先生の転勤でも、カラーはガラっと変わります」というアドバイスで、校区内の中学を選びました。...
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ホタル
発達障害児【特別な支援を要する男の子】のママ。フルタイム勤務のシングルマザーです。