中学校時代

コウの中学校卒業式

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コウの中学校の卒業式は、ひどいみぞれの天候でした。
懇談会などはいつも車で行っていましたが、
大人数が集まるセレモニーに、車はないだろうと、自宅から20分、徒歩で行きました。
またぎきれない大きな水たまりだらけの道、雨に近いべしゃべしゃの雪が降っていました。

数日前に、生徒がひいたクジで、保護者の座席は決まっていました。
コウがひいたクジは「C-22」、会場に行ってからわかったのですが、12列の保護者席の一番後ろでした!
でも、卒業生入場のドアからは最も近く、入場するコウの姿は間近で見れたし、
とりたてて問題には感じませんでした。

コウの入場の歩き方は、肩をピクッ!ピクッ!と時々震わせていることに気づきました。
緊張すると、そういうチック的な動きがあるのかなーと思いました。

卒業証書授与では、卒業生約170人中、軽く10人以上は、名前だけ読み上げられて、不在の生徒がいました。
直前にコロナによる学級閉鎖もあって、体調不良者の欠席なのか、不登校なのかは、不明です。

小学校時代、コウは3年生までは普通学級にいたので、
同じクラスだった子たちの名前を聞き、遠くから眺めて
「みんな大きくなったなぁ。どこの高校に行くのかな」と思いました。

コウの特別支援学級6人は、卒業生の普通クラスの後でした。
名前を読み上げられ、一番後ろの席にも、「はい」というコウの返事が聞こえました。
ちゃんと証書を受け取り、校長先生に礼をして、ステージを降りて来ました。
卒業式の夜、コウが私に「声聞こえた?」と言っていました。
きっと先生が「お母さんに聞こえる声で」と指導したのでしょう。
「聞こえたよー!大きな声出せたね」と褒めました。

コロナ禍の卒業式、
国家と校歌は、テープの音声が流れるのを聴く、という方法でした。
どうでもいいけど、300人も集めた体育館でのセレモニー。
春とはいえ、窓を開放した換気ができる気温でもない。
内容は最小限にして、少しでも短時間におさめて、解散した方がいいんではないでしょうか?
学校の先生の頭って、やっぱり柔らかくないんだなー、「従来」から離れることができないんだなと、
おそらく学校の先生の平均年齢よりかなりトシいった母親は思いました。

卒業生の保護者は、セレモニーの直前に玄関から体育館に直行、
終了後は体育館から直帰で、教室に立ち寄ることなく、我が子にも先生にも会うことはありませんでした。
お母さんたちは、セレモニーらしいスーツの人もいましたが、半分くらいは、普段着のスカート姿という感じで、
体育館も寒くて、コートを着たままの人も多かったです。
私に至っては、ママ友もいないので、文字通り「誰にも会わない・誰とも話さない」卒業式で、
我が子と写真を撮るわけでもなく、スーツである必要もなかったです。

感謝の涙を流す予定の卒業式でしたが、涙を流す場面はありませんでした。
それでも、コウが3年間通って、大きく成長させてもらった学び舎です。
ありがたい気持ちでいっぱいでした。

コウの中学校の制服は、これが最後かと思いきや、
進学先の高等支援学校の入学説明会に着て行くということで、まだ保管です。

ABOUT ME
ホタル
発達障害児【特別な支援を要する男の子】のママ。フルタイム勤務のシングルマザーです。