コウは軽度知的障害のある発達障害児で、特別支援学級と高等支援学校にお世話になり、
この春に高校を卒業して、就労移行支援事業所に通所しています。
私の母(コウの祖母)にとって、コウは初孫でした。
その後、計4人の孫に恵まれました。
シングルマザーの私の子育てに、多大な協力をしてくれました。
コウとアサキも大きくなり、母は80歳を過ぎ、体は健康で、若干認知症気味の、多弁な高齢者となりました。
「コウは学校で、ちゃんとやっているんでしょう?」
↑これをコウの目の前で私に問われるのは困りました。
「コウはかわいいのだけど生まれた時は普通だったよね普通だったのに」
「コウがひまわり学級に入ることになって私、実はショックだったの。
でも近所の奥さんが『今どきは、この子どうしてひまわり学級にいるんだろう?と思うような普通に見える子もたくさんいるのよ』と教えてくれたので安心したの」
↑特にこの「ひまわり学級転級時」にまつわる「打ち明け話」を、数年に渡り母から何度聞かされたことだろうと思い返します。
「親友(80代)から『頭がいいのはアサキちゃんじゃなく、コウくんだったらよかったのにね。女の子が頭がよくてもあまり役には立たないよね』と言われたのよ!💢」
↑コウが学業の人ではないとわかっていて、母の親友のこの言葉です。
何か皮肉を言いたかったのだと百歩譲って、その言葉を発した本人よりも、
その会話をわざわざ私に伝える母の気持ちの方が理解できずにいます。
今年1月。共通テストの前日
「コウは明日共通テスト?」
↑世の中の高校3年生の大学受験の報道を見たのでしょう。
それまでに何度も「進路は作業所のような所に決まった」と伝えています。
コウが受験すると思うのは、全く場違いで、
母の認知面が低下しているのは言うまでもないのですが、
聞かされる方はなかなかの絶句モノです。
コウ自身いじめに遭ったことがなく、
母親である私も、他者からコウに関して嫌なことを言われた経験はありません。
コウとアサキの同年代の甥っ子2人(コウとアサキからみるとイトコ。コウより年下)も、
成長とともにコウの「できなさ」が目立っていることは感じていると思いますが、
けっして「コウはこんなこともできないの?」などと言うことはありません。
コウの障害に関して、私は圧倒的に「当事者」です。
コウの障害に傷つく祖母としての気持ちを、なぜことごとく当事者である私に言うのか。
ぜひ言語化したいなら、もう一人の娘(私の妹)に言ってくれないかなぁ。
私に言うのだけは違うだろう。と思います。
もう一人の娘(私の妹)には「コウをサポートしてくれる所が常にあって、見つけることもできていて、すごくいいね」
と言っているそうです。
言う相手が、完全に逆ではないのか?
せっかく当事者があらゆるサポートに支えられて明るく楽しく生きてるのに
コウの存在が祖母を不幸にしていると思わせちゃうよと
妹から母に言ってもらいたいと考えたりもしています。
母は、昭和の激動の中を苦労して生きて来た人で、
それに比べて私は「苦労」をせずにきた人生です。
老いても「娘を心配する」「孫を心配する」ということをし続けていたいのだろうなとも思っています。
許さなきゃいけないなぁとは思います。
でもコウに関する愚痴からは、
しばらく距離を置きたいなぁと思うこともしばしばです。