2021年公開の映画「梅切らぬバカ」を、劇場に観に行きました。
今から2年前のことです。
知的障害者役の塚地武雅さん、その母親役の加賀まりこさんも、大好きな俳優です。
期待でいっぱいで、映画に行く前に、観た人の感想をレビューサイトで読んでみました。
「自分も高齢で、知的障害の子(50代)と暮らしているが、
これからも子どもを支えて共に暮らしていく決意をさらに深めました」というような感想がいくつもあり、
「???」「なんで?」と思いました。
長年、母(たまこさん)と子(ちゅうさん)の2人で古い家に暮らしてきたけれど、
ちゅうさんは、実家を離れグループホームに暮らすようになる。
親は自分の終活として、親の役割を終える過程を描いた映画なのだと予測していたからです。
実際に映画館に観に行って、70~80代の親が、これからも障害のある子どもと同居しようと心に決めた理由がわかりました。
ちゅうさんは家に引きこもることなく、
決められた時間に忠実に生活し、B型作業所に通っています。
たまこさんはちゅうさんをグループホームに入居させようと下見もして、引っ越しもしたけれど、
知的障害者のグループホームは、近所から嫌がられています。
メガホンで移転嘆願運動をする住民。
ちゅうさん(塚地さん)が、乗馬クラブの馬を外に連れ出すという事件を起こし、
ついにグループホームに居られなくなり、また荷物をまとめて実家に戻る…
たまこさん(加賀まりこさん)が
「生まれてきてくれてありがとう」とちゅうさんを抱きしめるのが、映画のクライマックスシーンです。
親が、我が子に障害があっても深く愛す美しい絆のラストにしたいとの制作側の思いは伝わりました。
でも、ちゅうさんは、この後、たまこさんが老いて死ぬ時まで一緒に暮らすのでしょうか。
映画では、たまこさんはやっぱり体の動くうちに、ちゅうさんを自分から離して、
福祉のサポートを受けながらちゅうさんが暮らしていけるように、
もう一度挑戦する、できればたまに見守れる距離で。
それが必要なのだと、少なくとも観客にわかってもらうほどには、表現しているように思えませんでした。
親が子どもの特性を肌身にしみて一番理解していることは言うまでもありません。
自分から離さずにそばに居続けることが、子どもの環境を変えず、生活も元のまま安心して過ごせる、という美談にしてしまっては、
映画を観た70~80代の親が、これからも子どもと同居しようと心に決めるのも当然です。
親はほぼ確実に、子より先に死ぬのです。
親が元気で子どもの世話をできる状況はいずれ終わりを迎えます。
親が体が動かなくなってから、もしくはこの世を去ってから、
ということは、子どもは40~50代でしょう。
その年齢で突然、親とともに暮らせなくなる時がやってきて、
環境が大きく変わるのでは、極度に混乱させてしまうと思います。
親自身も「この子を遺して逝けない」と、どんなに心を遺すことになるか。
「死んでも死にきれない」「死ぬに死ねない」とは、まさにこのことです。
「置いて逝けないから、一緒に連れて逝こう」と思うかもしれないのです。
障害児を大事に育てて、最期にこんな悲劇が待っているのでは、あまりにいたたまれません。
人間は、変化を嫌います。
「いついつまでも、今のままで」
と思ってしまう生き物です。
たまこさんも、ちゅうさんがいない生活は、張り合いがなく寂しかったのです。
でも親も「子離れ」を迫られ、それを乗り越えなければならないと思います。
親子でそばにいるのがBESTであり最適解、という結末に行きついてしまったこと、
多くの観客が「最終的に、これで良かったのだよネ」との感想を持ったのは、
残念だったなぁというのが私の感想です。
自分以外の、子どもの特性の理解者を増やし、
死ぬ時に思い残すことがないように準備するのが、親の役割です。