10月末のコウの中学校の個人三者懇談会で、コウの志望高校の出願先をプリントに記載して提出しました。
11月中旬に「出願手続依頼書」を提出、
12月上旬の「出願書類請求」までは変更は可能ですが、
それにしてもそんなにウダウダコロコロと志望校を変えるわけにもいきません。
担任の先生は、9月~10月に4校行った高校の教育相談に同伴してくれて、
2か月に1回の三者懇談会で、今年度、しょっちゅう会っている状態です。
コウが中学1年生時の高校見学で一目惚れした「A高等支援学校」は、新設校で校舎も新しく、駅からも近く、それはそれは素敵です。
でも、よりによってコウが受験する年度から入試で「集団活動をさせてみる」という項目が加わりました。
そのうえ出願時に「自己推薦書」の提出も義務付けられていて、
集団も作文も苦手なコウには難しいのではないかな、と思いました。
10月下旬に行ったA高校の保護者対象の学校説明会では、
在校生の様子も「本当にこの子たちは療育手帳を持っているのかな」という感じの、しっかりした立ち振る舞いです。
先生方は「1人1人オーダーメイドの教育を」と、その熱心さは伝わりました。
しかし気がかりになったのは
「企業が求める生徒は『素直な子』や『真面目な子』というよりも、『資格を持つ子』『武器のある子』です」
と先生がはっきり言っていたことです。
私は、特別支援教育の場に、この指向はどうなのか、疑問を持ちました。
「生徒のよいところを見つけて伸ばす」というカラーの教育だと思うからこそ、親は発達障害の子を託す思いになるのであって、
なけなしの取柄である素直さ・真面目さを軽視されているような気がして、
強く違和感をおぼえ、その考えに全く共感できませんでした。
「学校説明会に行きましたが、教育方針に共感できませんでした」と、中学校の連絡帳に書きました。
コウには、じわじわと「A高校には、コウの入りたい部活がないかもね」
「B高校の寄宿舎も、いいね」などと、小出しに、別の高校にも視野を持てるように関わりました。
コウの反応は、特にイヤそうにするのでもなく「ウン」と言うだけです。
でもさすがに「ママはA高校に行くのは反対」とは言えません。
親子で志望校について話し合うといっても、コウのコミュニケーション能力では、気持ちを引き出せるような長々としたやり取りにはなりませんでした。
さて、そんな中迎えた10月末の中学校の個人三者懇談会。
高校の出願先のプリントに、コウは「A高校」と記載しました。
担任の先生は、母親がA高校に不安を持っていることを知っています。
「自己推薦書は自分で書くんだよ。
声が小さいと、集団でやっていけるかなと高校の先生が心配するよ。
人気校だから、倍率が高くて、もし残念な結果だったら、家から遠い市外の高校を選ぶしかなくなる生徒も、過去にはいたよ。
それでも、気持ちは変えないかい?努力できるかい」
と一つ一つ丁寧にコウに伝えてくれました。
そして、滑舌の良くないコウの発言を、よく聴き取ってくれていました。
何点か、コウがA高校を受けるに際しての懸念を伝えたうえで、
再度、志望校はどこにするか?聞かれても、
コウはやはり「A高校です」と答えました。
この懇談会は1時間ほどでした。
本当にA高校…?という葛藤でいっぱいでした。
でも、我が子といえども彼の人生をコントロールすることはできないのだと悟り、
これは私にとっては試練かもしれないのだけれども、
中学1年生から温めてきたのであろうコウの気持ちを尊重するしかないと思い至りました。
B高校の教育相談で、担当してくれた年配の男の先生が言っていた
「お母さん、どこの支援高校に行っても、結局、そんなに違いはないですよ。本人の行きたい所を受験させることです。
高校生活で挫けることがあった時、自分で選んだ道だと思えば、乗り越えられるものです」の言葉には、とても助けられています。
A高校にもし合格できたとして、コウが望まれるような力を発揮できなくても、
「オーダーメイドの教育」の場にあっては、入学した1人の生徒を捨て置きはしないだろうと思います。
後で、先生と結託してコウの志望を変えるように働きかけるということもしないつもりです。